「黒=原文」・「青=現代語訳」
編者:橘成季(たちばなのなりすえ)
解説・品詞分解はこちら古今著聞集『阿波の国の智願上人』解説・品詞分解
阿波の国に智願上人(しやうにん)とて国中に帰依(きえ)する上人あり。
阿波の国に、智願上人といって、国中の人が帰依している聖人がいた。
乳母(めのと)なりける尼、死に侍(はべ)りて後、上人のもとに、思はざるに駄を一疋まうけたり。
(その上人の)乳母であった尼が、死にまして後に、上人のもとに、思いがけなく駄馬(荷物を運ぶための馬)を一頭手に入れた。
これに乗りてありくに、道のはやきのみにあらず、あしき道をゆき、河をわたる時も、あやふきことなく、
(上人が)この馬を乗って歩き回ると、脚が速いだけでなく、悪い道を(難なく)行き、河を渡る時も、危ないことがなく、
いそぐ用事ある時は、むちのかげを見ねどもはやくゆき、のどかに思ふ時は、しづかなり。
急ぐ用事がある時は、鞭を全く見せなくても速く行き、のんびり行こうと思う時は、静かに行くのだった。
ことにおきてありがたく思ふさまなるほどに、この馬ほどなく死にければ、上人惜しみなげきけるほどに、
何事においても、珍しく思う(馬の)様子であったが、この馬はまもなく死んでしまったので、上人は惜しんで嘆いているときに、
またすこしもたがはぬ馬いできにければ、上人よろこびて、前(さき)のやうに秘蔵して乗りありきけるに、
また(前の馬と)少しも違わない馬が現れたので、上人は喜んで、以前のように大事にして乗りまわっていたところ、
ある尼に霊つきてあやしかりければ、「たれ人の何事におはしたるぞ」と問ひければ、
ある尼に靈(=正体は上人の乳母の霊)がついておかしなことがあったので、「誰がどういうわけで(このように霊として)いらっしゃるのか。」と(上人が)問うと、
「我は上人の御乳母なりし尼なり。上人の御事をあまりにおろかならず思ひたてまつりしゆゑに、
(霊は答えて)「私は上人の御乳母であった尼です。上人の御事が、あまりにも放っておけず(心配に)思い申し上げたために、
馬となりて久しく上人を負ひたてまつりて、つゆも御心にたがはざりき。
馬となって、長らく上人を(馬として背中に)お乗せして、まったく(上人の)御心にさからいませんでした。
ほどなく生をかへて侍りしかども、ひじりなほわすれがたく思ひたてまつりしゆゑに、
まもなく生まれ変わって(上人に)お仕え申し上げましたが、上人のことがやはり忘れられないように思い申し上げたために、
また同じさまなる馬となりて、今もこれに侍るなり」と言ふ。
また同じ様子の馬になって、今もここにございます」と言う。
上人、これを聞くに、年ごろもあやしく思ひし馬のさまなれば、思ひあはせらるることどもあはれにおぼえて、
上人はこれを聞くと、長年、不思議だと思っていた馬の様子なので、(自然と)思い当たる事などもしみじみと思われて、
堂を建て仏をつくり、供養して、かの菩提(ぼだい)をとぶらはれけり。馬をばゆゆしくいたはりてぞ置きたりける。
堂を建て仏を造って、供養をして、その菩提(上人の乳母であった尼の極楽往生)をお弔いになった。(上人は、)馬をとても大切にしておいた。
執心(しふしん)のふかきゆえにふたたび馬に生まれて志をあらはしける、いとあはれなり。
(乳母が上人を思う)愛の心が深いために、再び馬に生まれて、その気持ちをあらわしたということは、とても趣のあることだ。