「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら宇治拾遺物語『博打、聟入りのこと』(2)解説・品詞分解
さて、夜々いくに、昼ゐるべきほどになりぬ。
そうして、毎晩(長者の娘のもとに)通ううちに、昼も(一緒に)居るような頃合いになった。
※当時は「通い婚」と言って、夜に男が女のもとに訪れ、朝早くには帰るといった風習があり、それを続けて昼も一緒に居る間柄となって正式に夫婦となった。
いかがせんと思ひめぐらして、博打一人、長者の家の天井にのぼりて、ふたり寝たる上の天井を、ひしひしとふみならして、
どうしようかと考えをめぐらして、(名案を思いつき、)博打打ちの一人が長者の家の天井にのぼって、(長者の娘と博打の子である婿)二人が寝ている上の天井を、みしみしと踏み鳴らして、
いかめしくおそろしげなる声にて、「天の下の顏よし」とよぶ。
とても恐ろしげな声で、「天下の美男子」と呼ぶ。
家のうちのものども、いかなることぞと聞きまどふ。
家の中の者たちは、どういうことかと聞いてうろたえる。
聟、いみじくおぢて、「おのれこそ、世の人「天の下の顏よし」といふと聞け。いかなることならん」といふに、
婿は、ひどく怖がって、「自分のことを世間の人が『天下の美男子』と言うと聞く。どうしたことでしょう」と(長者の家の者に対して)言うと、
三度までよべば、いらへつ。
(天井の者が)三度までも呼ぶので、(婿は)返事をしてしまった。
「これはいかにいらへつるぞ」といへば、「心にもあらで、いらへつるなり」といふ。
(家の者が)「これはどうして返事をしてしまったのですか」と言うと、(婿は)「心にもなく、返事をしてしまったのです」と言う。
鬼のいふやう、「この家のむすめは、わが領(りゃう)じて三年になりぬるを、汝(なんぢ)、いかにおもひて、かくは通ふぞ」といふ。
鬼が言うことには、「この家の娘は、私が自分のものにして三年になったが、おまえは、どう思って、このように通って来るのか。」と言う。
「さる御事ともしらで、かよひ候(さぶら)ひつるなり。ただ御たすけ候へ」といへば、
(婿は)「そのようなこととも知らないで、通いましたのです。ただただお助けください」と言うと、
鬼「いといとにくきことなり。一事して帰らん。なんぢ、命とかたちといづれか惜しき」といふ。
鬼は「非常に憎いことである。一つ仕事をして帰ろう。おまえ、命と顔かたちとどちらが惜しいか」と言う。
聟「いかがいらふべき」といふに、舅(しうと)、姑(しうとめ)「なにぞの御かたちぞ。命だにおはせば。
婿が(家の者に対して)「どのように答えたらよいでしょうか」と言うと、舅と姑は「どうしてお顔立ちなどでしょう。(いや、違う。)命さえおありならば(、良い)。
『ただかたちを』とのたまへ」といへば、敎へのごとくいふに、
『ただ顔かたちを(お取りください)。』とおっしゃいなさい」と言うので、(その)教えの通りに言うと、
鬼「さらば吸ふ吸ふ」と言ふ時に、聟、顏をかかへて、「あらあら」と言ひて、ふしまろぶ。鬼はあよび帰りぬ。
鬼は「それならば吸う吸う」と言う時に、婿は、顔をかかえて、「ああ、ああ」と言って、床を転げまわる。鬼は歩いて帰った。
※「ふしまろぶ」について、実際は婿は痛そうな演技をしているだけである。