伊勢物語『梓弓(あづさゆみ)』現代語訳

「黒=原文」・「青=現代語訳」
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昔、男、片田舎に住みけり。

むかし、ある男が、都から離れたところに住んでいた。


男、宮仕へしにとて、別れ惜しみて行きにけるままに、

その男は、宮仕えをしにといって、(女と)別れを惜しんで(都に)行ってしまったままで、


三年(みとせ)来(こ)ざりければ、待ちわびたりけるに、

三年間帰って来なかったので、(女は)待ちくたびれていたところ、


いとねむごろに言ひける人に、「今宵あはむ」と契りたりけるに、この男来たりけり。

たいそう親切に言い寄って来た男に、「今夜結婚しよう。」と約束していた日に、この男が帰って来た。


「この戸開け給へ」とたたきけれど、開けで、歌をなむよみて出だしたりける。

「この戸を開けてください。」と(男は戸を)たたいたが、(女は)開けないで、歌詠んで差し出した。


あらたまの  年の三年(みとせ)を  まちわびて  ただ今宵こそ  新枕(にひまくら)すれ

三年間も、あなたの帰りを待ちわびて、ちょうど今夜、他の男と新枕を交わすのです。
※当時の律令制では、婚姻関係にある者が何らかの理由で三年間不在である場合には、離婚が認められた。現代においても同様の規定が存在する。(民法770条)



と言ひ出だしたりければ、

と(女が)言って差し出したので、(それに対して男は、)


梓弓  ま弓つき弓  年を経て  わがせしがごと  うるはしみせよ

(弓にも梓弓、ま弓、つき弓などいろいろあるように、いろいろなことがありました。)長い年月、あたしはあなたを愛してきたように、あなたも新しい夫を愛しなさい。


と言ひて、去なむとしければ、女、

と言って、立ち去ろうとしたので、女は、


梓弓  引けど引かねど  昔より  心は君に  よりにしものを

あなたが、私の心を引こうが引くまいが、昔から私の心はあなたに寄っていましたのに。
※「ほかの男が、私の心を引こうが引くまいが」という訳だとする説もある


と言ひけれど、男、帰りにけり。

と言ったけれども、男は帰ってしまった。


女、いとかなしくて、後に立ちて追ひ行けど、え追ひつかで、清水のある所に伏しにけり。

女は、たいそう悲しくて、(男の)後について追いかけて行ったが、追いつくことができないで、(湧き出ている)清水のある所に倒れ伏してしまった。


そこなりける岩に、指の血して書きつけける。

そこにあった岩に、指の血でを書きつけた(歌)。


あひ思はで  離(か)れぬる人を  とどめかね  わが身は今ぞ  消え果てぬめる

私が慕って思うのと同じようには私のことを思わないで離れ去ってしまう人を引きとめることもできず、私の身は今にも消え果ててしまいそうです。


と書きて、そこにいたづらになりにけり。

と書いて、そこで死んでしまった。


伊勢物語『梓弓(あづさゆみ)』解説・品詞分解

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