孟子『無恒産而有恒心者~』原文・書き下し文・現代語訳

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・赤字=解説

 

孟子曰ハク、「無クシテ恒産而有恒心、惟ノミクスルヲ

孟子曰はく、「恒産無くして恒心有る者は、惟(た)だ士のみ能(よ)くするを為(な)す。

※惟=限定「惟ノミ」「ただ~だけ」

孟子が言うに、「一定の生業や財産がなくても、一定不変の道徳心を持ち続けることは、ただ学問教養がある人だけが出来ることである。

 

 

キハケレバ恒産、因リテ恒心

民のごときは則ち恒産無ければ、因(よ)りて恒心無し。

 

一般的な人民は一定の生業や財産が無いと、一定不変の道徳心は持たない。

 

 

クモクンバ恒心、放辟邪侈、無已。

苟(いやし)くも恒心無くんば、放辟邪侈(ほうへきじゃし)、為(な)さざる無きのみ。

※苟=仮定「苟クモ」「もし~ならば」、「無ル(は)(せ)」=二重否定(強い肯定)「~しないことはない」

もし一定不変の道徳心がないならば、勝手気ままで、したい放題のことをしないということない。

 

 

ルニ於罪、然ヒテ而刑スルハ、是スル也。

罪に陥るに及び、然(しか)る後に従ひて之を刑するは、是(こ)れ民を罔(あみ)するなり。

 

(そして、人民が)罪を犯すことになって、その後処罰するのは、人民を網にしかけて捕らえるのと同じようなものだ。

 

 

クンゾリテ仁人在一レ、罔スルコトヲ而可ケン也。

焉(いず)くんぞ仁人位に在る有りて、民を罔することを為すべけんや。

※「焉クンゾ也」=反語「どうして~か(いや、~ない)。」

どうして仁徳ある者が位についていながら、人民を網にしかけて捕らえるようなことをするだろうか(いや、しない)。




 

、明君制シテハ民之産、必使イデハフルニ父母、俯シテハフニ妻子、楽歳ニハ終身飽、凶年ニモ於死亡、然リテ而之上レ

是の故に、明君民の産を制しては、必ず仰いでは以て父母に事(つか)ふるに足り、俯(ふ)しては以て妻子を畜(やしな)ふに足り、楽歳には終身飽き、凶年にも死亡を免れ、然る後に駆りて善に之(ゆ)かしむ。

※使=使役「~させる」

このため、賢明な君主は人々の生業を定めるのに、必ず(自分を中心に考えて)上は父母に十分に仕えられるようにし、下は妻子を十分に養えられるようにし、豊作の年にはずっとお腹いっぱい食べられ、不作の年にも餓死しないようにし、そうした上で人民を励まして良い方向に向かわせる。

 

 

民之従也軽

故(ゆゑ)に民の之(これ)に従ふや軽し。

 

なので、人民が君主に簡単に従うのです。

 

 

今也制シテハ民之産、仰イデハフルニ父母、俯シテハフニ妻子

今や民の産を制するに、仰いでは以て父母に事ふるに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、

 

(ところが、)今や人民の生業を定めるのに、上は父母に十分に仕えられず、下は妻子を十分に養えられず、

 

 

楽歳ニモ終身苦シミ、凶年ニハ於死亡

楽歳にも終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。

 

豊作の年にもずっと苦しみ、不作の年には餓死するのを免れない。

 

 

ヒテルヲ

此(こ)れ惟だ死を救ひて而(しか)も贍(た)らざるを恐る。

※而=逆接「しかし・けれども」

これでは(人民は)、ただ餓死を免れようとして、けれども(なんとかするための)力が足りないことを恐れて(不安に思って)いる状態である。

 

 

アランムルニ礼義。」

奚(なん)ぞ礼義を治むるに暇(いとま)あらんや。」と。

※「奚ゾ~ン哉」=反語「どうして~か(いや、~ない)。」

どうして礼儀をおさめる余裕があるだろうか(いや、ないだろう)。」と。

 

『孟子』まとめ

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