源氏物語『車争ひ』現代語訳(3)(4)

「黒=原文」・「青=現代語訳」

【人物紹介】
本文における斎宮=六条の御息所の娘。梅壺女御。秋好(あきこのむ)中宮。御息所の死後、光源氏が後ろ盾となり冷泉帝のもとに入内し、梅壺女御となった後、正式に中宮となる。
冷泉帝=表向きは桐壷帝と藤壺の息子だが、実は光源氏と藤壺の子。


斎宮の御母御息所、もの思し乱るる慰めにもやと、忍びて出で給へるなりけり。

斎宮の御母の御息所(六条の御息所のこと)が、あれこれと思い乱れてお気持ちの慰めにでもしようかと、人目を避けてお出かけになっているのであったのだ。


つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。

何気ないふりを装っているが、(葵の上は乗り主が御息所だと)自然と気づいた。


「さばかりにては、さな言はせそ。」

「それくらい(の身分)では、そのよう口はたたかせるな。」
※六条の御息所は、亡き東宮(皇太子)の妃であった上に、大臣の娘でもあり身分は高かったが、このようなことを葵の上方の供人に言われてしまった。


「大将殿をぞ、豪家には思ひ聞こゆらむ。」など言ふを、

「大将殿(光源氏)を権威として頼みに思い申し上げてるのだろう。」などと(葵の上方の供人が)言うのを


その御方の人も混じれれば、いとほしと見ながら、

(葵の上方の供人の中には)その御方(光源氏)に普段仕えている者も交じっているので、(葵の上は六条の御息所の事を)気の毒にと思いながらも、


用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつくる。

気を遣うのも面倒なので、知らない顔をしている。


つひに、御車ども立て続けつれば、副車(そえぐるま)の奥におしやられて、物も見えず。

とうとう(葵の上の車が六条の御息所の車を押しのけて)御車の列を立て並べてしまったので、(葵の上の)お供の者が乗る車の後ろに押しやられて、(六条の御息所は)何も見えない。


心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られ ぬるが、いみじうねたきこと、限りなし。

腹立たしいのは当然として、このような人目を忍ぶ姿をはっきりと知られてしまったことが、ひどく腹立たしいこと、この上ない。


榻(かぢ)などもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、

榻などもみな押し折られて、本来ある場所とは全く違う車の轂(こしき)に掛けているので、


またなう人わろく、くやしう、何に来つらむと思ふにかひなし。

またとなく体裁が悪く、悔しく、何のために来てしまったのだろうと思うが、どうしようもない。




(4)

物も見で帰らむとし給へど、通り出でむ隙もなきに、

(六条の御息所は)見物もやめて帰ろうとなさるけれど、通り抜け出る隙間もないうちに、


「事なりぬ。」と言へば、さすがにつらき人の御前渡りの待たるるも心弱しや。

「行列が来た。」と言うので、さすがに、薄情な人のお通りが自然に待たれるのも(我ながら)意志の弱いことだよ。


「笹の隈」にだにあらねばにや、

(この場所が、歌に詠まれた)「笹の隈」でさえもないからだろうか、
※「笹の隈」=「笹の隈(くま) 檜隈川(ひのくまがわ)に 駒(こま)止めて しばし水かへ その間にも見む」
笹の生い茂っている奥深いところを流れる檜隈川で、馬を止めて少しの間水を飲ませてあげてください。馬に水を飲ませているその少しの間だけでも、私はあなたの姿だけでも見ていたいと思いますので


つれなく過ぎ給ふにつけても、なかなか御心づくしなり。

(光源氏が)そっけなく通り過ぎなさるのにつけても、(そんな源氏のお姿を見てしまっただけに)かえって物思いを尽くしてしまうことである。


げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾(しもすだれ)の隙間どもも、

なるほど、いつもより趣向を凝らして用意した何台もの車の、我も我もとこぼれそうに乗っている下簾の隙間に対しても、


さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目(しりめ)にとどめ給ふもあり。

(光源氏は)気にもとめない顔であるが、ほほ笑みながら流し目でご覧になる人物もいる。


大殿のは、しるければ、まめだちて渡り給ふ。

大殿(の姫君である葵の上)の車は、はっきりと分かるので、(光源氏は葵の上の車の近くになると)真面目な顔つきでお通りになる。


御供の人びとうちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさま、こよなう思さる。

お供の人々も(葵の上の車の前は)敬意を払いつつで通るので、(六条の御息所は自身が葵の上に)圧倒されているありさまを、この上なく(みじめに)思いなさる。


影をのみ  御手洗川(みたらしがは)の  つれなきに  身のうきほどぞ  いとど知らるる

今日の御禊の日に、わずかばかり影を映して流れ去る御手洗川のように、少しだけあなたのことを私の目に映しましたが、あなたのそっけなさに我が身の不幸がどれほどか、いよいよ認識せずにはいられません。


と、涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、

と(六条の御息所は)詠み、涙がこぼれるのを、人が見るのも体裁が悪いけれど、


目もあやなる御さま、容貌のいとどしう出でばえを見ざらましかばと思さる。

(普段でも)まぶしいほど立派な(光源氏の)ご様子や容貌がいっそう晴れの場で引き立つのを見なかったら(どんなに心残りであっただろう)とお思いにならずにはいられない。


源氏物語『車争ひ』解説・品詞分解(3)

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