土佐日記『帰京』(2)解説・品詞分解

「黒=原文」・「赤=解説」「青=現代語訳」

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さて、池めいくぼまり水つけ  所あり。

池めく=カ行四段、池のようになる。連用形は「池めき」だが音便化して「池めい」となっている

くぼまる=ラ行四段、周囲より低くなる、へこむ

水つく=カ行四段、水に浸る、水けを含む。直後に完了・存続の助動詞があるため已然形となっている。

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形。完了か存続の意味かは文脈判断。連体形であるのは直後に体言が来ているから。体言に連なる形=連体形

さて、池のようになってくぼまり、水がたまっているところがある。


ほとりに松もあり。五年六年のうちに、千年  過ぎ    けむかたへなくなり  けり

き=過去の助動詞「き」の終止形、接続は連用形

や=疑問の係助詞、結びは連体形、ここでは文末ではないが「けむ」が結びとなり連体形となっている。係り結び

過ぐ=ガ行上二、ここでは直後に接続が連用形である助動詞「ぬ」が来ているため連用形になっている。

に=完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形

けむ=過去推量の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形。前の「や」を受けて連体形となっている。係り結び

かたへ=名詞、片側、片方、一部分

なく=形容詞ク活用「無し」の連用形

に=完了の助動詞「ぬ」の連体形、接続は連用形

けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形

(池の)ほとりに松もあった。五年、六年の間に、千年もたってしまったのだろうか、片側は亡くなってしまった。


生ひ  たる    交じれ  

生ふ=ハ行上二、生える、生ずる

たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形。完了か存続の意味かは文脈判断。直後に物・枝が省略されているため連体形となっている。「生えた枝」

ぞ=強調の係助詞、結びは連体形。係り結び

交じる=ラ行四段、ここでは直後に存続の助動詞「り」があるため已然形となっている

る=存続の助動詞「り」の連体形、連体形なのは係助詞「ぞ」の結びになってるため。係り結び。

最近生えた枝が交じっている。


大方のみな荒れ    たれ  、「あはれ。」と人々言う

大方(おほかた)=副詞、だいたい、一般に、およそ

荒る=ラ行下二
に=完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形

たれ=存続の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形

ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。

あはれ=感嘆詞、「ああ」

ぞ=強調の係助詞、結びは連体形、ここでは「言う」が結びとなっている。

およそ全体が荒れてしまっているので、「ああ(なんてひどいこと)。」と人々が言う。


思ひ出で  ことなく、思ひ恋しきがうちに、

思ひ出づ=ダ行下二、思い出す

ぬ=打消しの助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

恋しきがうち=恋しく思うことの中に。恋しき(形容詞シク活用連体形)の直後に事が省略されている。「恋しき(事)がうち」

(そういったものなど見て)思い出さないことなどなく、恋しく思うことの中に、


この家にて生まれ  女子の、もろともに帰ら  いかが悲しき

生まる=ラ行下二

し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形

もろともに=副詞、いっしょに

ね=打消しの助動詞「ず」の已然形、接続は未然形

ば=接続助詞、直前に已然形が来ており、先程と同様に①原因・理由「~なので・~から」の意味で使われている

いかが=副詞、どんなに…か。「いかが」には係助詞「か」が含まれており、係り結びがおこっている。結びは連体形で「かなしき(形容詞シク活用)」の部分である。

この家で生まれた女の子(土佐へ赴任する時に連れて行った作者の娘)が一緒に帰らないので、どんなに悲しいことか。


船人もみな、子たかりののしる

たかる=ラ行四段、寄り集まる

ののしる=ラ行四段、大声で騒ぐ、やかましく音を立てる。現代語では「罵倒する」だが、そうではないので注意

舟に乗っていた他の人もみんな、子供が寄り集まって大声で騒いでる。


かかるうちに、なほ悲しきに耐へ  して、ひそかに  心知れる人と言へ  ける歌、

かかる=ラ変、こんなだ、こうだ、かようである

なほ=副詞、やはり、それでもやはり

耐ふ=ハ行下二段、我慢する、こらえる

ず=打消しの助動詞「ず」の連用形、接続は未然形

ひそかに=形容動詞ナリ活用、こっそり。紀貫之(作者)はここで、喜んでいる周りの人たちに遠慮しているということが分かる。

心知れる人=気心の知れている人、ここでは紀貫之の妻を意味している。「心知れ人」の「る」は存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変の未然形・四段の已然形

り=完了の助動詞「り」の連用形、接続はサ変の未然形・四段の已然形

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形

このような間に、やはり(娘を失った)悲しい思いに耐えられないで、ひそかに気心の知れた人(紀貫之の妻)と詠んだ歌、



生まれも帰ら  ものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ

し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形。直後に「子」が省略されていて「生まれた子」となる

ぬ=打消しの助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

ものを=接続助詞、逆接、「~のに」。「もの」がつく接続助詞はほぼ逆接、たまに順接・詠嘆の時がある

小松=こまつの「こ」は「子」と「小」を表してる。掛詞。自分の子は亡くなっていないのに、小松はあるので、見ると思い出して悲しいということを意味している。ちなみに、掛詞(同音異義語)になるところは基本的にはひらがなで書かれているもの。漢字で書くと意味を限定してしまうから。

(この家で)生まれた子さえも帰ってこないのに、我が家に(新しく生えている)小松があるのを見るのは悲しいことだ。


言へ。なお飽か    あら、また、かく  なむ

ぞ=強調の係助詞、結びは連体形、係り結び

る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変の未然形・四段の已然形

飽く=カ行四段、満足する、あきあきする

ず=打消しの助動詞「ず」の連用形、接続は未然形

や=疑問の係助詞、結びは連体形、ここでは「む」、係り結び

む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形、直後に読点があるが文末扱いである。係り結び。ちなみに、文末に「む」があると「推量・意志・勧誘」のどれかの意味となり、文中に「む」がくると「家庭・婉曲」のどれかとなる。

かく=副詞、このように

なむ=強調の係助詞、結びは連体形。係り結びの省略がおこっており、「言へる・詠める」が省略されていると考えられる。下線部の「る」が結びの部分であり、完了の助動詞「り」の連体形である

と詠んだ。それでもやはり読み足りなかったのであろうか、このように詠んだ。


見し人の  松の千年(ちとせ)に  見ましか   遠く悲しき  別れましや

※掛詞=同音異義を利用して、一つの語に二つ以上の意味を持たせたもの。
掛詞の見つけ方(あくまで参考に、いずれも必ずではありません。)
①ひらがなの部分
②和歌に至るまでの敬意で出て来た単語
③地名などの固有名詞

見し人=亡くなった人、生き別れした人、ここではなくなった娘を意味している。「見人」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形

ましか=反実仮想の助動詞「まし」の未然形、接続は未然形、事実とは反する仮定(仮想)を表す。「ましかば~まし。」あるいは「ば~まし。(「せ」は過去の助動詞「き」の未然形)」という形で反実仮想として使われる。

ば=接続助詞、直前に未然形がくると④仮定条件の意味であるが、ここは反実仮想

せ=サ変の未然形、助動詞ではない。「することがあっただろうか。」

や=反語の助動詞、結びは連体形。結びの省略がおこっており、「ありけむ」が省略されている。「あっただろうか。(いや、なかっただろう。)」「けむ」は過去推量の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形。

(この家で元気な姿を)見ていた子(亡くなった娘)が千年もの寿命がある松のように(生きながらえて)見ることができたなら、どうして遠い土佐での悲しい別れをすることがあっただろうか。(いや、なかっただろう。)


忘れ難く、口惜しきこと多かれ    尽くさ  

口惜し=形容詞シク活用、残念だ、悔しい

多し=形容詞ク活用

ど=接続助詞、逆接、接続は已然形

え=副詞、下に打消しの表現を伴って「~できない。」

尽くす=サ行四段、全部を出す、ある限り出しきる

ず=打消しの助動詞「ず」の終止形、接続は未然形

忘れられず、残念なことが多いけれど、書き尽くすことができない。


とまれかうまれとく  破り    

とまれかうまれ=ともかく。何はともあれ。一応「とまれ(副詞)・かう(副詞「かく」の音便化)・あれ(動詞)」と品詞分化される

とし(疾し)=形容詞ク活用、早い、速い

破る=ラ行四段、破る、こわす。ちなみに下二段だと、「破れる、壊れる」という意味になる

て=強意の助動詞「つ」の未然形、接続は連用形。「つ・ぬ」は「完了・強意」の二つの意味があるが、直後に推量系統の助動詞「む・べし・らむ・まし」などが来るときには「強意」の意味となる

む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。推量の助動詞という種類なだけで、ここでは「意志」の意味であるから、直前の「て」は「強意」である。

ともかく、(この日記は)早く破ってしまおう。

※最後の「早く破ってしまおう」というのは、謙遜であって、作者は初めから他人に見せるつもりで書いているので、本気で日記を破ろうとは思っていない。

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